飛べない鳥も進化なの

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サッカー場にある確率

ちっすちっす。

お元気ですか?そうですか。

 

今回のエントリーも、サイモン=シン著「フェルマーの最終定理」からの面白いお話です。

 

確率、といえば数学を専攻していても苦手意識のある方が多い分野ですが、本書で以下のような興味深い考察がされています。

 

人々が狩りで生活していた頃、目の前の子鹿を捕まえる時に「親鹿が現れて危害を加えられる確率」と「それを忌避して次にもっといい獲物にありつける確率」のどちらがより高確率なのか、生存に関する事柄なので、本来人類には本能的な”正しいヤマカン”があっても良さそうだ。

 

確かに、より原始的な生活をしていた時代が長いのですから、本能的に人類にもいくらか”正しいヤマカン”というものはあっても良さそうです。

でも著者はこう続けます。

 

しかし、確率はしばしば人間の直感を裏切る。

 

例として、著者は「サッカーグラウンド上の2チームのメンバーと主審、あわせて23人の中で、誕生日が同じ人間が存在する確率」を挙げています。

 

あなたの直感はどうっすか?

誰でもいいので、23人の中に「あいつとあいつが同じ誕生日だ」という確率、どれくらいだと思いますか?

ひょっとしたら1組もいない気もしませんか?

 

実は、確率で言うとこれは50.73%の確率で、同じ誕生日同士の人間が存在します。

つまり、賭けをした場合であれば、「同じ誕生日同士がいる」方に賭けるのが僅かな差ではありますがセオリーとなります。

 

同じ事を40人の集まりで当てはめると89.12%となり、この賭けはもはや「同じ誕生日同士の人間が必ず存在する」に賭ける以外に無いほど跳ね上がります。

 

間違えてはいけないのが、「自分と同じ誕生日の人間」を探すのではない、というところです。

自分と同じ誕生日の人間を、自分以外の22人から探しだせる確率は5.86%となり、圧倒的に低くなります。

この計算式は単純に

1 - (364/365)^22

ですね。

 

結局、「誰でもいいから誕生日が同じ人間同士」という問題のネックとなるのは、「23人の集団であれば、とにかくペアは253通り出来る」というところです。

「自分と同じ誕生日」であれば22通りしかないわけですよ。

 

街なかで信号待ちしている人たち、クラス、職場を見回してみてください。

23人以上の集団であれば、同じ誕生日同士のペアはそこにいる確率の方が、いない確率よりも高いんですってよ!

 

興味のある方向けに計算式も載せておきますね。

 

全体の人数をnとし、n>1を満たす自然数とする。

n人の中に、最低1組の「誕生日が同じペアが存在する確率」の計算式は

1-(n人の中に全く同じ誕生日のペアが存在しない確率)

となり、

1 - 364/365 x 363/365 x 362/365 x ....... x (366-n)/365

となる。

よって求める式は

1 - 364! / {(365-n)! x 365^(n-1)}

 

いろいろな人数で計算してみてください。

誰かにクイズで出して試してみるのも面白いかもしれませんよ。

 

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

blog開始一週間よ、一週間。

やってみるとblogも面白いね。

ただ、色んな表現出来るからついついプレーンテキストだけの投稿をやめよう、ってチカラ入っちゃう所さえ無視出来ればもっと楽に扱えるのにw

即時性がないのもいいよね。
好きな時に好きなことだけで済むもん。

何かもっとマニアックなこと書こうかな…と構想してるんだけど、イラストとか資料作ってると興味が四散しちゃうんだよね。
これ小さい時からそうなんだよ( ;´Д`)

ナットのネジ山眺めてたらSCM材調べるトコまでいったことあるしな…。

フラッシュストレージとかパソコンCPUの仕組みなんか記事にしてみようかな。
楽しそうだし。

ネイルやファッションはタレント様の綺麗な写真に任せておいて、こっちはこっちでギークにhshsしようぜ。

交際0日で結婚…?!

世の中には楽しい人たちが多いと実感しまくりんぐな出来事。

いいからお前らリンク先をまずは見ろよ。

結婚のご報告。30年彼女がいなかった僕が、秒速で結婚できた理由。 | 株式会社LIG

即日だぜ、即日。
新婦さんがパワポ資料送った日からこの日まで、二人がどのレベルのやり取りをしていたのかわかんないけど、直接会わず声も聞かず生活態度も見ず、それで結婚ってのは私にとってはヒモをつけずにバンジージャンプすることと同義で…。

特に声ね。

声質や話すスピード、抑揚、笑い方、話の受け方は個性がものすごく出るところだと思わない?
最後まで聞かずに「あ、でも」で遮るタイプ、鼻で笑うタイプ、強めの語尾、要点を絞らずに語数で補うタイプ…苦手やなぁ( ;´Д`)

ここに人柄出ちゃう。

逆に私も文字だけで付き合っているネットの方々とは生で話したくない。
文字の印象と口調のそれとのギャップを補正されて悟られそうでイヤなんよねぇ。

ここをすっ飛ばしてでも結婚を決意できたお二人は、ホントに運命の出会いだったのかもしれないよ。

おめでとうございます。

はあちゅうもトレンダーズ側から同じテーマを纏めていて、こちらも面白い。


確かにそばにいたらウルるわなぁ…これ。

まだ結婚に憧れる感覚は全くわかんないけど、こんな出会いも悪くないかな…とは思うにょ。

ウンコ…じゃなくてウンチの話

相方に連れられてフットサルのゲームに参加させてもらいましたよ。
ジャージ着込んでそれなりに背が高いから第一印象で「こいつ…できる…!」と思わせておいて安定の空振り連発ですよ。
運動音痴は数秒でバレるからわかりやすいですね。

これからチームで打ち上げです。
とうとうスポーツクラスタとしてデビューしちゃいましたヾ(◍'౪`◍)ノ゙

トルエルの最適解

サイモン=シン著「フェルマーの最終定理」という本があってですね、私が高校の時に読み理系進路を決心するきっかけになった名著です。

 

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

 
著者が数学に明るくないにも関わらず、読者にここまで平易にしかも端的に数論を説明出来ていることに、ある種の感動も抱きますよ。
 
難しいことは本書でも読んでいただくとして、これから数回にわたって数学の面白い問題をエントリーしようかな、と企んでいますよ( ̄+ー ̄)
 
今回は「トルエル」というゲームをご紹介しますね。
 
ここに揉め事を解決するために決闘をすることになった3人の人間がいる。
クロ氏の銃の腕前は未熟で1/3の的中率、グレー氏は2/3、シロ氏は3/3と「百発百中」である。
順番に一人が誰かを狙って撃つ方法となったが、公正を期するために最初にクロ氏、次がグレー氏(生きていれば)、次がシロ氏(生きていれば)と順番を決めた。
最後の一人になるまで続けられるこの決闘で、クロ氏はまず誰を狙うべきか?

 

コンピューターの父、ジョン・フォン・ノイマンが1944年に言及した「ゲーム理論」のごく初歩的な例なんだけど、現代の国家戦略には欠かせない分野にもなってんのね。

 

それまでの数論は「戦争に何の役も立たない」とされてきたわけで、これは旧来の戦略が「論理学」とは違うベクトルで構築されていた証ではないかとも思うのね。

 

極力被害を最少に抑え効率よく敵の戦力を削ぐという目的に対して、論理的に采配を振って勝利を収めた人物を軍神として崇めてはいたものの、その思考を系統化してロジックに収斂させなかったということ。

 

歴史上の名軍師は自然にこのゲーム理論に基づいて戦略を練っていたと思うとwktkしね?

太公望張良孔明竹中半兵衛も直感としてロジックを持っていたんだろうねぇ。浪漫だよねぇ(恍惚

 

んで先ほどのトルエルの「クロ氏の取るべき最適解」は

 

空に向かって撃つ

 

だす。何となく分かってたと思うけど。

 

まず、グレー氏を狙い、1/3の的中率で仮に当たった場合、残る二人はクロ氏とシロ氏となり、次の順番で確実にシロ氏によってクロ氏は撃たれるよね。百発百中だし。

 

じゃシロ氏を狙ってみようか、と言って仮にシロ氏を倒せたとしても、残される相手は自分よりも的中率の高いグレー氏となる。

まぁシロ氏よりはマシだけどこれも危険だーよ。

 

クロ氏が敢えて空に撃つことで、グレー氏は百発百中の的中率を誇るシロ氏を倒す必要が出てくる。

なぜなら、シロ氏を生かしておくと、次の順番となるシロ氏は、的中率1/3のクロ氏よりも脅威となる的中率2/3のグレー氏を狙うはずだと予想するからだよね。

 

クロ氏が空に撃ったあとに誰からも狙われず、かつグレー氏かシロ氏のどちらかが確実に倒されている状態で自分の順番が回ってくるわけよ。

 

もちろんこれはクロ氏が「確実に生き残る」という方法ではない。ただ、同じ1/3の的中率で勝負をするなら、より可能性の高い選択をしろ、ということですね。

 

どうですか?ゲーム理論のさわりだけではありますけど面白いでしょ?

 

 

 

……面白いでしょっっ!?

はぁ(´Д`)...

久しぶりにAV観ましたよ。

アンチウィルスとかアビアンカ航空とかじゃないっすよ、アダルトビデオですよ。

 

とあるキッカケでAV女優さんで検索してそれをネットで視聴した、という大変男らしいエピですけどね。

 

なんつーかね。

 

 

時間の無駄でした。

 

 

経済から始める脱経済偏重(え?

例えば...だけど、営利を目的とした民間企業において、業務能力よりも評価対象として相応しいパラメータはないだろうね。

 
福利厚生を当然のように企業に求める向きもあるっぽいけど、そこにも企業利益に適うものかどうかの選択行動は必ず発生するわけよな。
多少支出が増えても、優秀な人材確保、対外的な企業理念の告知、各種補助金の獲得、社員の意欲増進などが見込まれるからこそ、福利厚生を導入する。
 
裏を返せば、一方的な慈善活動は民間企業ならあり得ない、ということで。
 
 
企業の福利厚生は例え話として適切かどうかわからないけど、この手の話題には「そんなに金儲けが大事なのか」といった反論も多いんだよね。でもそりゃ「大事です」としか答えられない。
 
 
経済そのものが安定した国家運営の基礎であり、よほど侵略を好む周辺国さえなければ戦争すら回避できる重要な要素。
 
警察官や自衛隊や救急車や消防車や、子供が安心して遊べる公園、学校、歩道、これらも何もせずにそこに存在するわけじゃない。
コストを払って成立している。
みんなが経済活動をして税金を払うから今の規模のものが維持できている。
 
税収が減ればこれらも減る。
平均約8分で到着する救急車はどれくらい遅くなるんだろうね。
電気も電車もバスも、自家用車も維持できる現状をキープしたまま、「昔の生活に戻ろう」なんて...。
あなたの今のそのお仕事でさえ、存続しているかどうかわかりませんよ。
 
これを、命よりお金だ、と捉えているなら早計だろうなぁ。
原発の稼働問題の時にも白熱してたよね。
 
十分な経済活動をし、予算をかけて練り出した技術の先にある話を、とにかくなくせ、では本末転倒じゃない。
 
と適当に書いてみるテスト。